初めての出産体験レポート:主治医に「ノーベル賞もの」と言われた4cmの子宮口を1時間で全開にした方法(まこ)

まこ(1984年生まれ/子供2人&元看護師)です。私のはじめての出産は、予定日に「羊水過少」と診断されて入院してから、陣痛促進剤、人口破水をしても一向に子宮口が大きくなりませんでした。このままだと帝王切開になるかと思いきや、医師も「ノーベル賞もの」と言う急展開で出産しました。そんな前代未聞の出産劇の一部始終をご覧ください。

序章:予定日に突然「羊水過小」と診断されて入院

第一子の妊娠時、私は毎日ひどい身体のだるさに悩まされていました。子供が生まれる前にもっとあれこれしたいのに、身体がとにかくだるくて、少しでも多く横になりたい日々でした。「こんなにだるくて何もできないのなら、いっそのこと早く出てきて!」と、毎日お腹をさすりながら思っていました。

でも、私の想いとは裏腹に、赤ちゃんは出てくる兆候を全く見せなくて、気がつけば出産予定日当日を迎えていました。陣痛の兆候は全くないまま、いつも通り朝一番で週に一度の検診へ出かけました。

検査を済ませてエコー検査を行っていると、いつもより長くエコーをやっていることに気がつきました。検査技師さんは「ごめんね。あんまり長いとお母さん不安になっちゃうよね。赤ちゃんは元気だから安心してね」と言ってくれたのですが、「赤ちゃんは元気・・・?じゃあ私に何か異常があるってこと!?」とパニックになりました。

やっとエコーが終わって診察に入ると、先生から「羊水が急に少なくなっちゃってる。このまま自然な陣痛を待っていたら赤ちゃんに負担がかかるかもしれないから、今日か明日には入院してもらって、促進剤を使って出産しましょう」と告げられました。

病院までは片道1時間半以上かかります。陣痛が来てから片道1時間半を耐えられるか、ずっと不安だった私は、「むしろ、陣痛前に入院できてラッキーじゃないか!」と思いました。でも、この羊水過小という診断が、このあと私を苦しめることになろうとは思ってもいませんでした。

第一章:促進剤が2種類あることを知らされてショックを受ける

入院初日。早速バルーンが挿入されて、出産に向けての準備が始まりました。バルーンを入れたからといって、すぐに陣痛が来るわけではありません。陣痛室でテレビを見ながら、「明日には赤ちゃんに会えるのかな?」と呑気に考えていました。

その日の深夜、トイレでバルーンが自然に外れました。助産師さんに報告すると、「子宮口が開いた証拠ですね!」とのことで、「いよいよ、明日には会えるのかな!?」そう期待しながら、明日に備えて再び就寝したのでした。

期待に胸を膨らませながら起きた次の日。さっそく朝から点滴がつながれて、促進剤が開始になりました。「陣痛はいつ来るの?今日中には会えるのかな?」と、ドキドキしていると、助産師さんが笑顔で「今日のお薬だと、生まれればいいなぁっていうくらいです」と衝撃的な一言!

なんでも促進剤には二種類あるらしくて、今日のはまだ初期のものなので、これだけで生まれるのはレアとのことでした。陣痛らしき痛みも来ましたが、子宮口は前日からほぼ変わらずで、明日に持ち越しとなりました。夕方、促進剤を切る時の切なさときたら……(泣)

第二章:「またやり直し?もう耐えられないですっ!」

促進剤二日目。しっかり朝ごはんを食べて、いよいよ強い促進剤を使っていきます。「今日こそは赤ちゃんに会うぞ!」と、気合十分で臨みました。陣痛は少しずつ、でも確実に強くなっていきます。大きいソファにもたれかかって陣痛に耐えますが、子宮口は頑なに開きません。

昼がすぎて、夕方に近づいてきたころ、主治医から「うーん、これ以上促進剤をして、仮にいい陣痛が来たとしても、生まれるのは深夜になっちゃうね。深夜は人も少ないから、今日は促進剤を止めて、明日また仕切り直しにしよう」と言われて、私の緊張の糸がぷっつり切れてしまいました。

「羊水過小だから促進剤使ってるのに、赤ちゃんは大丈夫なんですか?促進剤を切ったらまた陣痛もイチからなんて、もう耐えられないですっ!」そう泣きながら先生に訴えました。

結局、時間ギリギリまで粘りましたが、子宮口は開かなくて明日に持ち越しとなりました。薬を切ると、陣痛は少しずつ遠のいて行きました。「いつになったら会えるんだろう……」このころには、赤ちゃんに会えるという希望よりも、絶望感が上回ってしまっていました。

第三章:人工破水を開始。一方、そのころ整体師の夫は・・・

促進剤三日目。昨日泣いてしまった私のメンタルと体力を心配した先生が、朝こんな提案をしてくれました。「さすがに今日生まれなかったら、帝王切開も視野にいれなくちゃいけないね。今日は人工破水もするから、自然分娩できるよう、頑張りましょう」

続いてやってきた助産師さんからも、「私、今日久々に分娩介助なんです!絶対に取り上げたいので、一緒に頑張りましょうね!処置があるので、もう分娩室に移動しちゃいましょ!」と、病棟のスタッフ皆さんに励まされて、なんとか気持ちを持ち直すことができました。

朝9時前に促進剤開始して分娩室へ移動します。まもなくく医師がやってきて、人工破水の処置が行われました。助産師さんと雑談しながらも、少しずつ陣痛は強くなっていきます。

さて、ここまで読んでいただて、ひとつ気になっていたことはありませんか?そう、夫が一回も登場していません。夫は整骨院で雇われ院長をしていて、整体師が自分1人しかいないため、急に仕事を休むことができないのです。入院先が片道1時間半もかかる上、仕事も20時過ぎに終わるため、お見舞いにくることもできません。

夫からは毎日「確実に生まれるなら、上司に話しをして、すぐに行くからね!」と言われていたのですが、確実に生まれる保証がないので、ずっと呼ぶことができなかったのです(泣)

第四章:夫が到着して子宮口が一気に全開!分娩開始15分で出産

この日も陣痛はどんどん強くなるのに、子宮口はなかなか開いてくれません。昼過ぎには主治医から、「このまま子宮口が開かなかったら、夕方に帝王切開をします」と言われました。

普通なら「こんなに頑張ったのに(泣)」となるかもしれませんが、私は「確実に今日生まれるってことね!」と解釈してすぐに夫に連絡しました。夫は仕事をを早引きして、15時過ぎに駆けつけてくれました!

この時、子宮口はまだ4cm。先生たちが帝王切開をするか迷い始めた時、事態は急展開します。夫が来たことで安心したのか、一気に陣痛が進んで、子宮口が開き始めたんです。陣痛が進むことで、腰にそれまで経験したことのないような激痛が起きて、悶絶する私。

夫は助産師さんの誘導の元、様々な部分を丁寧に、そして力強くマッサージしてくれました。そのおかげもあってか、夫が到着してから約1時間で、まさかの子宮口全開!

この病院では立ち合い出産はできないため、夫は一旦退室して、代わりに入ってきたのは20人ほどの医学部生達でした。医学部生たちは分娩見学に来たらしいのですが、大勢の学生に見られていても、私はもう恥ずかしいも何もありません。「やっと会える!」その一心でした。

いざ分娩となったとき、私はなぜかとても冷静になっていました。自分でいきむタイミングが掴めたので、「もうすぐ来ます!」と助産師さんに告げたあと、全ての力を込めていきみます。分娩開始となってわずか15分後、3回ほどのいきみで、見学していた医学部生たちの拍手に包まれながら、娘は生まれてきてくれました。

終章:主治医「これを解明できたら、たぶんノーベル賞取れる」

主治医いわく、「初産婦なのに、ここまで短時間で子宮口が開いて出産に至ったなんて聞いたことがない。なぜこんな急に子宮口が開いたのか。その理由が科学的に解明できたら、僕はたぶんノーベル賞取れる」とのことでした(笑)

医学部生たちが退室して、赤ちゃんの処置が一通り終わったあと、夫が戻ってきました。夫は「なんか拍手とともに産声が聞こえて、あぁ生まれたんだなってわかったんだけど、入れるまでに時間かかっちゃったから、冷静になっちゃった」と照れ笑いしていましたが、娘を見てとても嬉しそうにしていました。

ちなみに、第二子の時は持病を考慮して、夫がお見舞いに来られる距離にある病院を選択しました。ですが、37週で突然逆子となって緊急帝王切開というう、第一子とは180度違う出産を経験しました。「全く同じ経過のお産なんて一つもない」助産師さんのこの言葉が、胸に響きます。[完]

利用した病院

病院名:千葉大学医学部付属病院
住所:千葉県千葉市中央区亥鼻1丁目8-1
院長:山本修一先生

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