私の出産体験記:バルーン、陣痛、会陰切開の傷、もっとも痛かったのはコレでした(ヨカっち)


ヨカっち(子供4人&自宅出産)です。今でこそ妊娠は4回経験していますが、当時の私は本当に無知でした。そんな私が11年前に体験した初々しい出産の様子をご覧ください。

序章:出産に備えて「里帰り転院」をした理由

分娩話の前に、バックグラウンドから説明しますね。私は32週から里帰り転院しました。地元の産婦人科病院から、ダンナの実家市内の市立病院へ。32週と34週の健診は電車で片道2時間半かけて通い、臨月から産後までの約2ヶ月間を義父母の家で暮らしました。

こういう「里帰り」は珍しいパターンだと思われます。というのも、私の実母は早くに他界していたので、心配した義父母からの申し出に、甘えることにしたのです。そこでの生活は、初めはちょっとガマンが多くてストレスでした。近所に歩いていけるお店もないし、土地勘がないから車の運転も最初は怖くてなかなか外に出られません。

ダンナは仕事があるので週末は来ますが、平日はまったくの3人なのです。不便で窮屈でしたが、何かと「大丈夫?遠慮なくね」と気遣ってくれる義父母に、グチを言うわけにもいきません。「先は長いし、だんだん慣れるしかないな」と内心ため息をついていました。

第一章:普通分娩の計画出産を医師に提案される

そんな新境地的な環境で健診4度目、やっと生活に慣れてきた頃です。「予定日に出産しちゃいましょうか?」と、お医者さんから提案されました。約36週のときでした。このときの私は、「どういうこと?」と、何のことやら最初サッパリわかりませんでした。よーく説明を聞いて、「計画出産=日にちを決めて人工的に出産すること」と理解しました。

「人工的」と言っても、帝王切開ではなくて、私の場合は普通分娩なのです。なぜかと言うと、分娩は普通にできる状態だけど、お腹の中が「長く入れっぱなしにすると、赤ちゃんに良くない状況」だったからです。

良くない理由は、羊水がどうも減っているらしいのです。「そんなことってあるの?」とビックリでした。それまで母子ともにまったく何の問題もなかったので、急に怖いことを言われて超不安になりました。それを聞いた義母はもっと驚いて、「何よ?何か危険なの!?」と、すでに赤ちゃんが生命の危機にさらされているかのような過剰反応。

「イヤ、そこまで言ってないって(汗)」と私が必死になだめる始末。まあ、元気に生まれてくれるならそれが一番ですけど、正直私は、「え~。自然に産めないかなぁ」という気持ちもゼロではなかったです。「羊水って何かしたら増えるんですかね?」と試しに聞いてみると、お医者さん「水を飲めば増えるってモノではないんですよね(真顔)」・・・ですよね、何かすいません(←心の声)

第二章:親戚宅のトイレで謎のおしるし事件

で、満40週の日に計画出産の予約を入れました。とはいえ、臨月は臨月ですから、いつなんどき陣痛が起きても不思議じゃないハズです。どこかそんな期待を持ちつつ、お盆の時期だったので、ダンナの親戚にあちこち挨拶まわりしていました。

すると、親戚宅のトイレで事件です!大量のおりもののような、ねちょっとしたものが出てきたのです!39週半ばだったので、「もしや、コレがおしるし?」と思い、あわてて義母に見せました。

それは血液のように真っ赤でなく、不透明ピンクのゼリー状の物体でした。「見聞きしていたおしるしとは違うなぁ」と私も思いましたが、義母もいまいちピンと来なかったようでした。

「まあ、もしものときはすぐ病院行けるんだから」と、とりあえずスルーすることに。結局、その日もその翌日も、陣痛らしき痛みは一切ありませんでした。そのおしるしをお医者さんに聞いてみるタイミングも逃し、実際あれが何だったのか、今でもナゾです。

そして(残念ながら)何事もなく来てしまった計画出産の前日。前泊するので、赤ちゃん用品を含めたすべての入院の準備をして、病院に行きました。

事務手続きを終えると病室に通され、病院着に着替えました。超シンプルなネグリジェとでもいうのか、前開きで丈の長いワンピースタイプの服です。この病院では、入院セットにこれが日数分含まれていて(レンタル式)、妊婦さんはみんなこの服で過ごしていました。

第三章:予想していなかったバルーンの痛み

出産前日の健診で「バルーン」という器具が子宮にセットされました。これは、翌日の分娩予定時刻に合わせて、人工的に子宮口を開いておくための処置です。その名の通り、中で風船のように膨らんで、役目を果たします。・・・と、簡単な説明を受けて、カンタンにセットされたのですが、夜中にかけて、お股の中がだんだん痛くなって来たのです。

そりゃそうです。バルーンによって子宮口が開いて来ているからなんです。子宮口がありえないくらい開くのは、陣痛と並んで出産の恐るべき2大痛ですから。私は知らぬが仏もいいところで、実際痛くなるまでの時間は相当リラックスしていました(笑)すべてが初めてなので、何も予想できていなかったのです。

一般的には、とにかく陣痛が先立って、次か同時かくらいに子宮口が痛み出すと思います。でも、バルーンだと逆なのです。陣痛はなくて股間だけが痛いっていうのが、結構しんどかったです。股間だけだけだから、「あ~、痛~(汗)」と意識が全部そこに集中してました。

当然、熟睡できずに朝を迎えました。げっそりした気分で朝食を食べ、それからは10時までヒマです。ただただ「股が痛い・・・」との戦い。最終的には「もう、早く時間来てくれえ~」と思っていました。子宮口の開きに関して、どうやら私は固い体質みたいです。イメージ的には、骨と骨の間を固い工具でグググっと力ずくで押し開かれているような感覚でした。

だから、ギリギリするような痛さというか・・・、ズキン!という飛び上がる痛みともまた別の、何とも言えない感じです。とりあえず、のたうち回ったりとか、大声でうなるとか、そこまではいってないので、比較的まだ平和的ではありました。

第四章:いよいよ出産当日!分娩の前に浣腸を申し出た結果・・・

さて、予定通り10時に陣痛室に入りました。陣痛はまったく来ていませんから、ベッドで陣痛促進剤の点滴を受けます。これはちょっと怖かったです。「この薬が効いてくると、一体どんな痛みが襲って来るのだろう?」と、心理的には完全にまな板の上の鯉です。

またはサスペンスドラマとかで見る、「今打った薬で、オマエはあと何分で死ぬ」という状況(笑)・・・そんな(余計な)想像をふくらませながら横になっていると、確かに徐々に「ん?」というお腹の張りが!キューンとしめつけられるような感じで、「いよいよ来たか!」と思いました。

「間隔を図っててくださいねー」と言われて、そこからひたすら腕時計とにらめっこでした。5分間隔になるまでに、そんなに長くかからなかったです。さすがはクスリというか・・・。

10時半までにはかなり小刻みに痛みが来ていて、「そろそろ産みますかー?」みたいな軽いノリで、助産師さんに分娩室まで案内されました。その途中、「トイレは大丈夫ですか?」と聞かれ、ふと思い出したのです。たまごクラブに「浣腸はしておいたほうがいい」というような記事があったことを。

浣腸する理由は、「分娩中に便が出ないように」とのこと。分娩中のアクシデント排便は、浣腸を怠った場合に起こるのだと。だから、浣腸はみんなするものなんだと思い込んでいました。いくら出産がキレイごとでないとはいっても、自分はやっぱりセーフでいたいです。

「これは、今やっとかねば!」と、私は決意しました。「あのー、浣腸ってしないんですか?」と口に出すと、助産師さんは「ああ~、します?」と逆に質問形での答えでした。(あら? マストじゃないの?)と内心首をかしげながら、とりあえず「はい」とうなずき、さっきの陣痛室のベッドに戻ってしてもらいました。

が、これもまたなかなかの試練でした。説明するまでもありませんが、お尻の穴にチューブか何かで直に薬剤を入れるワケです。(うわあ~、ナンジャコリャ~)と、目が泳ぐ私。

「はい、じゃあギリギリまでガマンしてから、行ってくださいね」と私に軽くひと声かけて、彼女は一度その場を離れました。ギリギリと言われたって、今この薬を注入された時点で、ものすごい違和感です。今すぐトイレに行ってしまいたい気すらします。でも、分娩中の排便リスクを考え、言われた通りに何とかこらえます。

お尻の具合は、完全に不安としか言いようのないレベルです。でもココでぶちまけるのは、また別の恥。これ以上ないほど必死です。まさか肝心のお産の前に、こんなに必死にさせられるとは想定外でした。

時間にして5分くらいでしょうか、「やっぱもう無理!」と顔を青くしながら、妙な歩きかたでトイレに向かいました。このときばかりは、陣痛のことなんて少しも頭になかったです。ちゃんと用を足せたときには、心身ともに安心し切りました。

第五章:準備万端で分娩室・・・のはずが、陣痛よりイタい出来事(恥)

「コレで、分娩中には出ないだろう」とホッとして、先ほどの分娩室で、助産師さんの指示のもと、分娩台に乗りました。この部屋は妙に広くて、床も壁も無機質な色合いの中に、ポツンと分娩台がある感じでした。手術室のようなイメージです。

初産なので、それがいいとか悪いとかはそのときは全然思いませんでしたが、今となっては寒々しい雰囲気のお部屋だったなと思います。

助産師さんは、お医者さんに指示を仰ぎに行くらしく、ときどき私の視界からいなくなるのですが、当のお医者さんは、その日その時点で、1度見たかどうかという程度でした。ここは総合病院で、同時に何人もの人が出産するので忙しかったのかも知れませんが、機械的もいいところです。

私は分娩台の上で、助産師さんにいきむタイミングや力の入れ方の説明を受けました。彼女は見た目おそらく20代前半で、私より若いのですが、仕事慣れした態度が頼もしく、この2時間弱で私は彼女をかなり信頼することができました。これは、初産にはすごく良かったと思っています。

そして、いよいよ本陣痛。説明の通りにいきむと・・・なんと!赤ちゃんよりも便が出ていまいました・・・。痛い中にもその感覚はあって、(あんなに出し切ったのに何で!?)と大ショックでした。しかも、ゆるいヤツですからね・・・。だったら固形のほうが、どんだけマシだったか。

しかし、もうこうなったら、どうしようもないです。助産師さんも「大丈夫ですよ~」と言ってますし、とにかく産まなきゃいけませんから、恥を忍んでいきみ続けるしかないです。

(お腹と子宮口の痛みは、多分相当にあったのでしょうが、11年も前のことなので忘れてしまいました。ただ、いきむたびに出てしまった便のことだけは、ずっと忘れることができません・笑)

第六章:会陰切開を経て、ついに赤ちゃんと対面

そんな私の覚悟もむなしく(?)、いきみ始めて30分かそこらで医師がやって来て、(早く終わらせたいという病院側の意向なのか)「もうちょっとで頭出ますし、出しやすくしましょうか?」みたいなコトをおっしゃいました。雰囲気的にうなずくしかなさそうなので、うなずきました。

その後、お医者さんから「剃りますね」とか「切りますね」のような声かけがありました。要するに、会陰切開していたのです。これもまた、「なんか言われたな」とぼんやり思ってコクコクうなずきました。とにかく必死だし、痛いし、疲れたし、判断とか拒否とか到底ムリです。もちろん、医師の判断なので、仮に冷静でも普通にOKしたと思います。

ともあれ、ほどなくしてとうとう(むしろサクッと?)「赤ちゃん出て来ましたよ~」の声。助産師さんは、私の胸の上に医療用の青緑っぽい紙を広げると、その上に赤ちゃんを乗せてくれました。

初めて触れる実物の赤ちゃんは、思ったより小さくて、しっとりしていて、赤黒かったです。顔も体もシワシワしているので、ちょっとおじいちゃんを思わせる感じでしたが、直感で「カワイイ~」と思いました。ダンナいわく、「あれは完全にサル」なので、「それは母性本能のなせる技」らしいです(ダンナは産まれてから分娩室に入って来ました)。

お医者さんは、その間に切開したところを縫合していたようで、出産後もいなくなるのがメッチャ早かったです。まともに会話したかどうかも、思い出せないくらいです。別に、私としてはまったく問題ないですけど、「大病院らしいやり方だなぁ」と思いました。

エピローグ:一連の出産の流れの中で、最もツラかったことは?

私のはじめての出産は、促進剤を打ち始めてからトータル2時間半くらいかかりました。平均からするとだいぶ早いほうですが、相当汗だくで(季節は真夏)やり切った感がハンパなかったです。逆に、それがメチャクチャ爽快でした。

「私、赤ちゃん産んだんだなぁ」と、分娩台でウッカリ感動に浸っている間に、お医者さんだけでなく、気づくと周りにあった機械類(お腹の張りを測るヤツ)もサッパリ片付いていました。赤ちゃんも助産師さんが引き上げて行ってしまい、広い部屋に、ポツンと1人いるだけの状態でした。

「え、まさか産婦を置いてけぼり?私、どうしたらいいんだ・・・?」と急に不安になって上体を起こしかけたところへ、助産師さんが戻って来ました。ホッとして、「私、もう病室に帰ったほうがいいですよね?」と聞くと、「何言ってるんですか、歩けないですよ!ベッドまで運びますので、まだ休んでいてください」とのことでした・・・。

本当に、最後まで無知な産婦でした。初産で、雑誌でいろいろ勉強していたつもりでしたが、結果的には穴だらけでした。穴といえば、会陰切開の傷はその後2週間はピリピリ痛んで、穴あき座布団なしでは生活できませんでした。これは長期戦だったせいか、出産のいろいろな痛みの中でも、一番つらかったかも知れないです。

余談ですが、計画出産で日にちどころか時間まで決まっていたのに、ダンナは病院に遅刻して、出産の立ち合いに間に合いませんでした。そのときは、「まったく、私がこれから頑張るってのに(怒)」とイラッとしましたが、これもまた初産の語り草のひとつとなっています。それに、例のハプニングを思うと、むしろいてくれなくて助かったと思いました。

こんな感じでトラブルだらけの初産でしたが、11年もたった今ではププッと笑ってしまう、とても思い出深い、愛おしい記憶です。[完]

利用した病院

病院名:厚木市立病院
住所:神奈川県厚木市水引1-16-36
院長:山本裕康 先生

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