こじかママ(子供3人&元看護師)です。私のはじめての出産は、助産師さんと先生が喧嘩を始めたり、赤ちゃんが一向に出てこなかったり、出てきたと思ったら仮死状態だったりで、先生いわく「大難産」だそうです。そんな私の出産奮闘記をお届けします。
序章:予定日から2日が経過した朝、ようやく陣痛らしき痛みを感じる
朝8時。なんだかおかしいおなかの痛みで起床。出産予定日から2日が経過し、パパ(夫)が正月休みをずらして帰ってきてくれていました。(私たちは訳あって、出産するまで別々に暮らしていました。詳細はこちらの記事をどうぞ→妊娠中、旦那との接し方。イライラ、夫婦生活はどうする?)
正月休み中には生まれているだろう考えていましたが、全然生まれる兆候もなく休みが過ぎていきました。明後日にはパパは自宅へ帰ってしまうということで、焦っていた私。実は、前日の夜に大号泣していたのです。お腹が大きすぎて苦しいのと、体が重いのと、全身のじんましんで、つらすぎて。
そんな早く出てきてほしい願いが通じたのか、お腹の息子が「もう出てきたほうがいいのかな~」と空気を読んだのか(笑)、ようやくおなかに痛みを感じたのです。早速、産婦人科へ電話しました。
出産予定日と痛みの間隔を伝えると、「入院の準備をして、病院へきてください。」とのこと。支度をしようとするものの、痛くて動けない。すでに10分間隔の痛みになっていました。痛みのない隙に車へ移動し、約10分で病院へ到着しました。
第一章:子宮口は7cm、まだまだ陣痛も弱いらしい
入院の手続きをしなければいけませんが、実母とパパも一緒に来ていたので、その辺はお任せしました。私は渡された病院のパジャマに着替えると、早速浣腸をされて、トイレへ。「我慢してから出して」と言われたけど、人生初の浣腸に我慢できず(汗)全部出たかなと思うと、徐々に陣痛が強くなった感じがありました。
次に、分娩台に上がって内診をしました。子宮口は7センチほどしか開いていないそうで、モニターを付けても「弱い陣痛だね~、まだまだだよ~」と言われます。私は「まじか、これでまだ弱いのか」と怖くなりました。
そのあと血圧計を付けたり、わさわさと準備していると、「◯◯さ~ん(私の名前)、退院のお祝い御膳のステーキ、焼き方は何がいいですか~?」との問いが!「ちょ、ちょっと痛いんですけど、それ今聞く~!?」と思いながらも、「ミディアムレアで♪」としっかり答えていました(笑)
第二章:嘘でしょ!苦しむ私を目の前に、先生と助産師さんが口論を始める
12時ごろ。点滴して、準備万端で、母とパパが分娩室に入室しました。徐々に徐々に強くなる陣痛。子宮口も10センチに開大したので、いよいよ!・・・かと思いきや、まだ陣痛が弱いため、「あと3時間はかかるかな」と助産師さん。
「まじかよー、全開大したのに産ませてくれないの?痛いよー」と思いつつ、「でも、3時間耐えれば可愛い我が子に会えると思えば頑張れる!」と思い直しました。
午後3時ごろ。なかなか強くならない陣痛に促進剤を使い始めました。お腹ではなく、尋常じゃない腰の痛みが出てきました。横になったりしてパパに腰をさすってもらいました。そうして過ごしたあと、内診をしてもらうと、頭が見えてきました!助産師さんに「もう生まれるかも」と言われ、先生が呼ばれてきました。
しかし、ここからまさかの展開が始まります。先生が「まだまだやっど~。ゆっくり進んで~」と言うのです。助産師さんと先生の意見が食い違いです。「頭が出てるからもう出産したほうがいい」と言う助産師さんと、「大きいし、陣痛も弱いからゆっくり進んだほうがいいと」言う先生が、言い合い始めてしまいました。
私はこの陣痛に耐えなければならないという絶望感で、そんな言い合いなど聞こえてきませんでしたが、パパはがっつりケンカの様子を見ていました。なぜか私の顔をタオルで拭きながら見ていましたが、私は全然汗出てないです。うっとうしいったらありゃしません(笑)
言い合った末、結局まだ産まないことになりました。「あぁ、私はまだまだ耐えなければならないのか。これ以上の痛みってなんですか?地獄ですか?」と、諦めモードに突入するとともに、終わりの見えない陣痛に恐怖を感じていました。既に3分間隔の陣痛で、ゆっくり休む暇もなく、とにかくつらかったです。
第三章:赤ちゃんが泣かない!仮死状態で生まれた我が子を必死に蘇生
それから2時間後の夕方5時。頭が見えて2時間そのままだったからかわからないけど、胎児の心拍が落ちてきてしまいました。みんながざわつき始めます。先生を呼びました。促進剤の速さを早めましたが、赤ちゃんは出てきません。
先生が到着して様子を見て、「産みましょう」と、会陰切開しましたが、出てきません。もう一回切開しましたが、まだ出てきません。さらにもう一回切開しても、まだ出てきません。促進剤をマックスの速さで点滴しても出てきません。
5時半ごろ。先生が、「ちょっとよけて(どいて)」とパパに言いました。私がいきむと同時に、私の胸骨に全体重を乗っけて押し出そうとしています。
私「分娩台揺れる~!もう全部痛い~!どうなっちゃうの私~!!」
パパは初めて見る光景に「なにすんだようちの嫁に!」と思ったそうですが、一刻を争っている様子が見てわかったので、ぐっとこらえたそうです。それでも出てこない。何度も何度もやって15分ほど経って、やっとズルっと出てきました。
「やったー!生まれたー!もう痛くない!終わった~!」
・・・泣き声がしません。へその緒をパパが切る予定だったのですが、先生がバシッと切って、処置台へ連れて行ってしまいました。私はあまり記憶がないけど、実母によると、私がうわ言のように「泣き声が聞こえない。泣き声が聞こえない」と何度もつぶやいていたと言っていました。
実母は、へその緒を切る瞬間をビデオ撮影しようと構えてましたが、「これはやばい」と思わず録画をやめてしまいました。先生は赤ちゃんをバシバシ叩きながら吸引を繰り返しました。周りはみんな冷や汗ダラダラです。
それから10分後、ようやく泣き声が聞こえました!しばらく酸素を吸うため、抱っこできなかったけれど、「泣き声が聞こえた~!」と、ものすごく安心したのを覚えています。
終わりに:大難産を経験して思ったこと
そのあと、傷を縫ったり、導尿したりされたけど、感覚がなくてあまりわかりません。出血は1リットル!私の顔面は力んだせいで、点状出血だらけで、分娩台に2時間安静を強いられました。その日の日中は分娩台を私が占領していたはず(笑)
先生が、「年に1回あるかないかの大難産」と言っていました。でも、ゆっくりずっと痛くて、つらくて、色々ありすぎた出産だったので、何が難産だったのかはよくわかりませんでした。
出産後はアドレナリン全開で全く眠れなくて、出血しまくったのに病棟内歩き回って何度も赤ちゃんを見に行っちゃいました。元気で迷惑な褥婦だったと思います。パパには「もう寝かせてー」と言われちゃう始末(笑)
と、色々ありましたが、「世の中のお母さん、すごいなぁ!」と改めて思ったと同時に、「これがあったから我が子はひときわ可愛いんだな!」と、実感できる出産でした。[完]
病院名:広瀬産婦人科医院
住所:鹿児島県出水市昭和町15-20
院長:広瀬正典 先生
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