カナミ(1984年生まれ/子供3人&図書館司書)です。現在5歳になる長女の出産体験記をお届けします。予定日を過ぎてもなかなか来ない陣痛、6時間経っても一向に大きくならない子宮口など、入院から16時間半かかって出産した全記録をお楽しみください。
序章:予定日を過ぎても兆候なし。焼肉食べても陣痛は来ない!
「う~ん、思ったよりも赤ちゃんが大きくなっていないんだよね……」
検診を受けていくうちに先生にこう言われて、出産予定日を当初の予定日よりも6日遅くに変更されました。でも、その遅らせた予定日を過ぎてもお腹の赤ちゃんはいっこうに産まれる気配はありません。散歩中に出会った近所の人にも「予定日過ぎてるの?全然お腹が下がっていないね!?」と驚かれました。
私の通っていた産院は体重管理が厳しいところだったので、体重が増えすぎないようにかなり節制していました。ですが、「予定日も過ぎたし、こうなったら産む前に食べたいものを全部食べてやる!」と、大好物のお寿司や、食べると陣痛が来ると噂の焼肉など、ここぞとばかりに食べました!・・・ですが、効果は出ないまま、日々は過ぎていきました。
義母にも「まだ産まれそうにないの?」と電話で催促されて、「こっちが聞きたいわ!」とかなりナーバスになっていました。そんな中、気づけば予定日から1週間が経過して、先生にも「うちはできれば促進剤は使わない方針だけど、このままいくと来週には促進剤を検討しようか」と言われていました。
「いつ産まれるんだろう・・・。本当に産まれるんだよね・・・?」と不安に思っていた日が続いた日の夜9時、ついにそれがやってきました。
第一章:これって陣痛?あたりまえ体操で痛みをまぎらわす
その日は日曜日で、私は主人と夜ご飯を食べたあとTVを見ながらくつろいでいました。すると突然、お腹に「チクッ」とした痛みが走りました。
それまで私は前駆陣痛をほとんど体験していなかったので(初めてのことだったので自覚できなかったのかもしれません)、「これが前駆陣痛?でも、予定日はすぎているし……」と疑問に思いつつも、主人にお腹が痛い旨を告げました。
主人は動揺していて「ど、どうする?病院に電話する?」と言ってきたのですが、私は「ちゃんとした陣痛かわからないし、時間も測りたいから、様子を見よう」と言って、当時好きだったCOWCOWの「あたりまえ体操」をyoutubeで見ながら痛みに耐えました。
リズムがあるものだと痛みを紛らわせる気がして、替え歌を一緒に歌っていました。
このあとやってくる本陣痛や産むときの痛みに比べたら、たいしたことない痛みだったのですが、この時の私はまだ知る由もありませんでした。
第二章:産院へ到着。子宮口は4cmであと数時間で産まれる?
しばらくして陣痛時間を計ってみると、痛みはそこまでではないものの7分間隔になっていました。夜9時の時点では自信が持てなかった私も、3時間ほど経って「これは陣痛だ!」と確信して、日付が変わったころ産院へ電話をしました。
初産だったので、長丁場になることを予感してゼリーや清涼飲料水を買い込んでいました。ですが、これまでどこか他人事だった出産がいよいよ近づくなってきていることを実感したら、緊張でほとんど口にできませんでした。
産院に着いて助産師さんに状態を確認してもらうと「子宮口、4cmくらい開いているね。このままお産が進めば朝には産まれるかも」とのことでした。時間は午前2時。「じゃあ、もう少しで赤ちゃんに会えるのかな」と期待していました。
第三章:なかなか進まないお産。一体いつになったら産まれるの?
陣痛は相変わらず7分ほどの間隔で、痛みと不安と緊張で眠れないまま朝を迎えました。朝9時に主治医の先生が回診に来て一言、
「子宮口は……4cmくらいかな~。もうちょっとだね」
それを聞いた私は、驚きのあまり「えーーーーーーっ!?」と心の中で叫びました。「あんなに痛い思いして夜が明けたのに、まだ4cmなの!?どうやったら産まれるの!?」と、先生を目の前にして大声で叫び出しそうでした。
その後、11時ごろの診察でやっと「子宮口が7cmになった」とのことで分娩台に上がるのですが、ここからもまた長かったです。途中ふと時計を見たら、午後2時を指していました。
「あぁ、また2時になった。ここへ来てから12時間も経ったのか・・・」「まさか産む前にまた2時の針を見るなんて。いつまで我慢すればいいのかな・・・」と、心が折れそうでした。
ちなみに、この産院はご飯が完全手作りで、栄養たっぷりのメニューで好評だったのですが、私は「とてもじゃないですが、お昼など食べれられません」と固辞したため、主人が代わりに食べました。主人いわく「まったく味がしなかった」とのことでした(笑)
第四章:いよいよ誕生!あまりの痛さに呼吸を忘れる
この日の産院では、ちょうど看護学校から学生さんが派遣されて来ていて、私のお産にも同席していました。その学生さんは私たちと同じ苗字だったのもあって、すぐに打ち解けました。
腰のマッサージをしてもらったり、話し相手になってもらったりしましたが、痛いながらも私のお産が全く進まないので「今日の研修は17時までなんです。赤ちゃんの誕生に立ち会えないかもですね・・・」と言われてしまいました。
ところがその時、今までとは明らかに違う痛みと、お尻のほうに何かが挟まっているような感覚がしました。以前、出産は「すごい便秘で、便がたまっているのに出せない状態」と聞いたことがありました。
なので、「これか!たしかに!」と、まだ頭の中は冷静でした。ですが、それからは「いきんでいいですよ」と、OKの合図が出るまでとにかく痛みとの戦いでした。本当に便を我慢するような気持ちで必死にこらえました。
人は痛いとき、つい息を止めてしまいがちです。ですが、出産の際はそれだと赤ちゃんに酸素がいかなかったり、体力を消耗してしまうので、止めてはいけないそうです。また、いきむ際に目を閉じると、周囲の血管が切れてしまったり余計な力が入ってしまうのでNGなのです。
・・・と、冷静な判断ができていたのですが、「いきんでいいよ~!」との合図が出てからは自分がどうだったか覚えていません(笑)少し前の冷静さはどこへやらです。あまりの痛みと、「早くこの痛みから解放されたい!」という気持ち、そして一番大切な「赤ちゃんに会いたい!」という気持ちでいっぱいでした。
そのうち「バシャッ!」という音とともに大量の水が流れる感覚がして、私は破水しました。そこからはもうとにかくいきむだけです。看護師さんや助産師さんの「ハイ、今!ふーっ!ふーっ!」という声に合わせてひたすらいきみました。
最後はあまりの痛みにのたうち回り、頭が真っ白になって息も止めてしまって、先生に「息して!」と太ももを叩かれたことを覚えています。そして、頭が出てくる感覚を感じるとともに「おぎゃ~!」と、元気なうぶ声が聞こえてきました。
こうして私の第一子が誕生しました。研修生さんの研修終了時間の23分前の16時37分の出来事でした。ギリギリ間に合いました。
終章:初めてのお産を終えると、今まで見ていた世界が変わった
私は立ち合い出産を希望しませんでした。その理由のひとつに「もしかしたら、いきんで便を出してしまうなどの粗相があるかもしれない」という懸念があったからです。実際、陣痛開始からトータルで16時間半かかったので、その間に導尿3回、いきんでいる最中にも便を出してしまいました。
当たり前ですが、看護師さんも助産師さんも何もなかったかのように対応してくれました。主人にだけはその姿を見られたくなかったので、立ち合い出産ではなかったことに後悔はしていません。
でも、仮に立ち合い出産でそのような姿を見られても、愛情が揺らぐことはないはずです。そんな大変な思いをしてまで、まさに命がけで産んだことの証明になるのではないかと思います。
私は産後、街行く赤ちゃん連れのお母さんを見かけるたびにしばらく、「あなたも大変な思いされてご出産なさったんですね。お疲れさまでした」と尊敬の眼差しを向けていました。
経験しないとわからないことって、たくさんあります。初めての出産を終えて、世の中のお母さんへの見方が本当に変わりました。そんな経験をさせてくれた長女には本当に感謝しています。[完]
病院名:おさむら産婦人科
住所:京都府八幡市男山泉14-5
理事長:長村俊平先生
院長:長村浩平先生
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